2014年1月8日水曜日

キンスカの木 - レッスン 3

ジャータカ絵本にこんな物語があります。

むかし、長者に四人の息子がいました。
ある時、その四人が話をしているうちに、
キンスカという木のことが話題になりました。

「でもさ、キンスカっていったいどんな木なんだろう」

「僕たちは一人もその木を見たことがないからよくわからないね。」

「じゃ、一度キンスカの木を見に行こうよ。」

兄弟は年寄りの御者にたのみました。

「よろしゅうございます。でも坊ちゃま方、
この車には、一人しか乗せられません。
それに私も忙しい身なので、私が都合がつく時、
一人ずつおつれすることにいたしましょう。」

こうしてしばらくたったある日、御者はまず長男をつれて森へ行きました。

「坊ちゃま、これがキンスカの木でございます。」

「ふうん、そうか、、、」

木はちょうど芽をふいている時でした。

またしばらくして御者は次男を森へ連れていきました。

「坊ちゃま、これがキンスカの木というものでございます。」

「へー、、、」

木はちょうど若葉がしげっている時でした。

またしばらくして、御者は三男を森へ連れていきました。

「坊ちゃま、キンスカの木とはこれでございます。」

「ほー、これが、、、」

木はちょうど花が咲いている時でした。

それからしばらくして御者は最後の四男を森へつれていきました。

「坊ちゃま、これがキンスカの木というものでございます」

「へえーっ」

「木はちょうど実がなっている時でした。

そののち、四人がまた集まった時、みんな得意そうにキンスカの木について話しました。


「キンスカの木ってさ、赤い芽がきれいなんだよね。
まるで炎が燃えているみたいにさ。」

「いや、若葉がふさふさしたさわやかな木だよ。」

「とんでもない、手のひらみたいな赤い花が咲く、かなり気味の悪い木だよ。」

「ちがうよ。赤ん坊の頭みたいな大きな実がなる木だよ。」

「ちがうよ」
「そっちこそちがうよ!」

みんな互いにゆずらず言い争いになってきました。

そこで四人は父親のところへいき、
だれが正しいのか裁いてもらうことにしました。

父親は話を詳しく聞くと、四人を森のキンスカの木のもとにつれていきました。

キンスカの木は、冬で葉が枯れて落ちでいました。

「あれ、僕が見たものとちがう」

「僕のともちがう、、、」

父親はにこにこしていいました。

「お前たちは確かにキンスカの木を見た。
それぞれ正しい。
けれど、それぞれがどういう時のキンスカの木かを御者に聞かなかったから、
意見が食い違ってしまったんだ。

同じものでも、時期や角度や人によって、見え方、感じ方は違う。

決して自分だけが正しい、他は間違っていると決め付けてはいけないんだよ。」



レッスン3 
この部屋の中に [この路上に、この窓の外に、この場所に] 
見えているどんなものも、 私は理解していない


この概念もこれまでと同様に、どんな区別もせずに適用する。

目に入ってくるものなら何でも、この概念をあてはめる対象としてかまわない。
この概念を適用するのにふさわしいものかどうかを疑ってはならない。

これは、判断を下す練習ではない。
あなたの目に見えていれば、何でも適している。

なかには、あなたを感情的にさせるような意味をもつものもあるかもしれない。
そうした感情も退けて、単純にほかのものとまったく同じように取り扱う。


演習の要点は、
あなたが心の中から過去の連想を一掃し、
ものごとを今見えているままに見て、
自分が本当はそれらをほとんど理解していないと気づくように助けることである。

したがって、今日の概念を適用する対象を選ぶときには、
価値判断に左右されずに、心を完全に開いておくことが肝心である。

この目的のためには、どんなものもみな同じであり、等しく適しており、等しく役に立つ。

引用 「奇跡講座 ワークブック編」 より





自分がどんなに知っていると思っていることでも、

この物語の息子たち一人ひとりがそれぞれに見た
キンスカの木みたいなもの。


近所の八百屋さんに、
焼き芋もらっちゃった♪

きんとんみたいにとろーりしてて甘い!

え?レッスンと関係ないって? 
だって感動的に美味しかったんだもん。

今年は私にとって、焼き芋の当たり年♪

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