2014年1月7日火曜日

息子にとっての石。私にとっての、、、 ― レッスン 2


近くの公園に遊びにお散歩に行きました。

息子は葉っぱやどんぐりや石を集めるのが大好き!

大切そうに持ちきれないほど集めては、
私にプレゼントしてくれたり、
落とすと必死で探したり、
運んでくれと頼んだりしてきます。

家に帰るころには、すっかり忘れちゃうんだけど。

その瞬間瞬間は、彼にとって宝物なんだよね。

せっせとパパに石を運んでいます♪

レッスン 2 

この部屋の中に
[この路上に、この窓の外に、この場所に]
見えているあらゆるものに、私にとっての意味のすべてを与えたのは、
私自身である。

この概念の演習も、最初の演習と同じように行う。

 目の前のものから初めて、何でも目にとまるものにこの概念をあてはめていく。
それから適用範囲を拡大する。
 
 首を動かし、左右どちらの側にあるものも含める。
できれば後ろも振り向いて、背後にあるものにも、この概念をあてはめる。

対象を選び出す時には、できる限り無差別に行い、
特別に何かに集中したり、一定の視野にあるものを全部含めようとしないようにする。
さもなければ、負担感が入り込んでしまう。

気楽に、さっと自分の周囲を見回し、
対処の選択が、
大きさ、明度、色、材質、自分にとっての重要性などに左右されないようにする。

ただ目に入ってくるものを、そのまま対称とする。

体、ボタン、ハエ、床、腕、リンゴなど、何にでも等しく気楽に演習を適用する。

ただ自分がそれを見たということを、唯一の基準にすればよい。

引用 「奇跡講座 ワークブック編」 より




物は同じ物でも、思い出があれば、とても大切にとっておきたかったり、
簡単に捨てることが出来るものもある。

断捨離の方法の一つで、捨てるかどうか決められないものは、
ダンボールにいれておいて、
半年その箱を開けることがなければ、
その箱ごとそのまま捨てる、
というのがあるけど、

これもまさに、物に意味を与えているのは自分だから、
箱にいれられたまま見る必要がなければ、
意味を与える機会もなく、
その存在の意味は失われ、
簡単に捨てられる。

私の身の回りのものも、
息子にとっての石やどんぐりや葉っぱとそう変わらないのかも。

それを認識した上で、

息子のように
自分がものに与えた意味を楽しんで、
分かち合い、
そしてまた手放せばいいんじゃないかなと思います。



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