2014年1月14日火曜日

人が輝く時



Facebookのお友達のシェアで知ったBrushy。

弦一本のギターで奏でる音楽にすんごい魂揺さぶられます!

ルシアーノ・ブロッタ監督の映画「RiseU」に起用されてたことをきっかけに
ブレイクして今ではアルバムも発売されているそう。

Youtubeに動画が沢山アップされてるけど、
新しいギターを抱えて、”撮影しました”って感じの動画や、
レコーディングスタジオでの演奏よりも、

古いギターでも、こうやって友達と一緒にそこらへんに座って
一緒にくつろぎながら皆でわいわい歌ってる感じが一番好き♪

人は、自分らしく、好きな仲間と一緒に好きなことをやっている時が
一番輝くんだなあ~。

と、私自身のあり方も、問い直されました。

2014年1月10日金曜日

Vrksasanaと ココロと その動揺の源と ― レッスン 5

ヨガにVrksasana/立ち木のポーズというアーサナがあります。
☆Vrksasana☆

片足立ちのバランスのポーズ。

もちろん、まずは必要な筋力とコツをつかむ必要があるのですが、

たとえ、一度コツをつかんでも、日によって簡単に出来る時と、
バランスを取るのがとても難しい時があります。

心が穏やかでない時にはバランスがとりにくくなるみたい。

じゃあ、なんで今、心が穏やかじゃないんだろう?

と、考えて、理由が思い当たったからといって、
その場で解決法が見つかる筈もないので、

そんな心穏やかでない自分を慈しみ、心をのさざ波を落ち着けることに集中することにしています。
すると、たいていバランスが取りやすくなります。

そしてレッスン後、自分が問題だと思っていたことを
全く別の視点で見ることができるようになったりすることがあります。

自分が動揺していた本当の理由は、自分が気付かないところにあって、

他の事に集中することによって心が穏やかになったことで、

その自分で気付いていない「理由」が

これまた自分で気付かないまま、消えてしまったのかなあ~、なんて。





レッスン5 

私は自分で考えているような理由で、動揺しているのではない。


この主題概念は、前回のものと同じように、
自分に苦痛を引き置きしていると思われる人や状況や出来事のどれにも使用できる。

あなたが自分の動揺の原因だと信じているものに対して、
自分の気持ちを正確に表すと思える言葉を使って、
具体的にこの概念を適用しなさい。

その動揺は、恐れ、心配、憂鬱感、不安、怒り、憎しみ、嫉妬、
そのほかのいくつもの形であるように見え、
そのすべてが異なったものとして知覚されるだろう。
これは真実ではない。

しかし、形は問題ではないということをあなたが学ぶまでは、
それぞれの形が今日の演習にふさわしい対象となる。

それぞれに同じ概念を個別に適用することが、
それらすべてが同じものだと最後には認識できるようになるための第一歩である。

今日の概念を、
さまざまな形の動揺の原因として具体的に知覚されたものに使用するときには、
あなたが見ている動揺の形の名称と、
その原因だと思える事柄の名称を用いるようにする。

たとえば、次のように言う。

私は自分で考えているような理由で、______に腹を立てているのではない。
私は自分が考えているような理由で、______を恐れているのではない。



ただし、以下のやり方を、通常の練習時間のかわりとしてしまってはならない。

練習時間には、まず最初に、
動揺の「源」だとあなたが信じるものと、
その結果を生じると思える動揺の形を心の中に探していく。


この演習では、
特定の対象だけを重視せずにどれも無差別に扱うことが、
これまでよりずっと難しく思えるかもしれない。

演習を始める前には、次のように言うと役に立つ。

小さな動揺というものはない。
動揺はみな、等しく、私の心の平安を乱すものである。


その後、心の中を調べて、
悩みの大小にかかわらず、自分を悩ませているものを何でも探し出す。


また、動揺の源だと知覚されるものの中には、
とりわけ今日の概念をあてはめたくないと思われるものもあるかもしれない。

そういう場合は、まず次のように考える。

この形の動揺を保ったまま、ほかの動揺を手放すことはできない。
だから、この演習のために、全ての同様を同じものと見なそう。

 
その後一分ほと心の中を検索し、
自分にとってどれほど重要であるかは考慮せずに、
自分の心を乱すさまざまな形をいくつか見つけ出す。

その動揺の源であると知覚されるものの名称と、
あなたが体験してるそのままのその感情の名称を両方用いて、
それらの各々に今日の概念をあてはめる。

以下に、もう少し例をあげておく。

私は自分で考えているような理由で、______について心配しているのではない。
私は自分が考えているような理由で、______について落ち込んでいるのではない。



一日に3、4回で十分である。



引用 「奇跡講座」 ワークブック編 より



そしてその「理由」、
このレッスンによれば、たとえ問題が何であれ、心の動揺の「源」はみな同じだそう。

ってことは、

疲れているとき、娘が車の中でしゃべりすぎ、、、、とげっそりするようなことも、
安倍政権ってどうよ!って怒りを感じることも、

「源」は同じ、、、、ですか。

ええ~、違うやろ!と思う方も多いハズ。

今後のレッスンに乞うご期待!ですね。

amitaayus

2014年1月9日木曜日

灰汁ぬきする? しない? ― レッスン 4


職場で”おみくじクッキー引いたら、大吉!
家に持って帰ったら、
一瞬で息子に食べられました。
彼には、”大吉”なんて”意味”ないもんね♪
クッキーはクッキーなのさ!
品の良い日本料理の下ごしらえの基本は
下茹で、灰汁抜き。
大根の皮も厚く剥いて、面取り。、
圧力鍋を活用して、素材を柔らかく調理するのも便利。

一方、
「ごはんとおかずのルネサンス」の弓田亨さんみたいに、
「そんなの栄養素を捨ててる以外のなにものでもない!」
と、提唱する方もいます。

健康的な食事法やエクササイズって、
どんどん新しい説が出てくるし、
外の情報に頼っていたら、混乱するばかり。


たとえそれが正しい情報でも、そのルールを守ることにストイックになりすぎて
家族に押し付ける感じになっちゃうと、
結果的に家族が仲良くなれなくなることもある。

「これは健康にいいから食べなさい」と、嫌がる子どもに無理やり食べさせる玄米と、
「あああ~! ほっかほかの銀シャリ~♪」 とホクホクしながら食べる白米。

もちろん、栄養価的には玄米が優れているけど、
どちらが魂の栄養になっているかというと、、、みたいな。

いやいや、玄米vs白米 ひとつをとっても

マクロビでは
玄米は陽の食べ物だから、落ち着かない子どもにはNGだとか、

アントロ的には、
精製した食品は物理的な栄養素だけでなく、
霊的な栄養素も奪われている、とか、
(間違ってたらごめん)

それぞれ色々な考え方があって、ますます混乱!

これはもう、
自分が内的に「これいい!」って感じる感覚を研ぎ澄ませて、それに頼るしかない。



レッスン 4
これらの考えには何の意味もない。
それらは、[この部屋に[この路上に、この窓の外に、
この場所に」みているものと同様である。


1 
これまでの演習とは違って、ここで行う演習は、
今日の主題概念とともに始めることはしない。

今日の練習時間は、まずはじめに約一分間、
あなたの心の中をよぎるさまざまな考えを注視することから始める。
その後、今日の概念をそれらの考えに適用する。

もしすでに不愉快な考えを意識しているなら、
それらを今日の概念の対象とする。

しかし、あなたが「悪い」と思っている考えだけを選んではならない。

自分の考えを見つめる訓練をしていくなら、それは実に然としていて、
ある意味ではどれも「よい」とも「悪い」とも呼ぶことが出来ないと分かってくる。
だからこそ、それらには何の意味もないのである。



今日の概念をあてはめる対象を選ぶにあたっては、
これまで通り、具体性が必要である。

「悪い」考えと同様に、「よい」考えも躊躇せずに使うようにする。
そうした考えはどれもあなたの真の想念を表してはいない。
真の想念はそれらにより覆い隠されている。

「よい」考えは、それを越えたところにあるものの影に過ぎず、
影があれば見ることが難しくなる。

「悪い」考えは視覚を妨げるものであり、見ることを不可能にする。
そのどちらも、あなたの望むものではない。



これは主要な演習の一つであり、
今後もときどき形を変えて繰り返される。

その目的は、
意味のあるものから意味のないものを切り離す
というゴールに向かって、
あなたが最初の数歩を踏み出せるよう訓練することである。

これは無意味なものを自分の外に見て、
意味あるものを自分の内側に見ることを学ぶという
長期目標における、最初の試みである。

またこれは、何が同じもので何が異なったものかを確認出来るように、
あなたの心を訓練する始まりでもある。



今日の概念を適用する対象としてあなたの考えを使うときには、
そこに含まれる中心的人物や出来事によってそれぞれの考えを確認し、
例えば、次のように言う。

______についてのこの考えには何の意味もない。
それは、私がこの部屋の中に [この路上に、この窓の外に、この場所に] 
見ているものと同様である。



また、あなたが有害だと認識している特定の考えに、
この主題概念を使用することもできる。
そうした練習は有益だが、
演習として行うもっと無作為なやり方の代用とすべきではない。

ただし、心の中を点検するには、一分以上かけてはならない。
あなたはまだ未熟であるため、
どうしても雑念に気をとられてしまいがちだからである。



さらに、これはこの種演習の最初のものなので、
いろいろな考えに関して判断を下さないようにすることが特に難しいと、
感じられるかもしれない。

一日に3~4回以上この演習を行ってはならない。

私たちはいずれまたこの演習に戻ることになる。

引用 「奇跡講座 ワークブック編」 より

2014年1月8日水曜日

キンスカの木 - レッスン 3

ジャータカ絵本にこんな物語があります。

むかし、長者に四人の息子がいました。
ある時、その四人が話をしているうちに、
キンスカという木のことが話題になりました。

「でもさ、キンスカっていったいどんな木なんだろう」

「僕たちは一人もその木を見たことがないからよくわからないね。」

「じゃ、一度キンスカの木を見に行こうよ。」

兄弟は年寄りの御者にたのみました。

「よろしゅうございます。でも坊ちゃま方、
この車には、一人しか乗せられません。
それに私も忙しい身なので、私が都合がつく時、
一人ずつおつれすることにいたしましょう。」

こうしてしばらくたったある日、御者はまず長男をつれて森へ行きました。

「坊ちゃま、これがキンスカの木でございます。」

「ふうん、そうか、、、」

木はちょうど芽をふいている時でした。

またしばらくして御者は次男を森へ連れていきました。

「坊ちゃま、これがキンスカの木というものでございます。」

「へー、、、」

木はちょうど若葉がしげっている時でした。

またしばらくして、御者は三男を森へ連れていきました。

「坊ちゃま、キンスカの木とはこれでございます。」

「ほー、これが、、、」

木はちょうど花が咲いている時でした。

それからしばらくして御者は最後の四男を森へつれていきました。

「坊ちゃま、これがキンスカの木というものでございます」

「へえーっ」

「木はちょうど実がなっている時でした。

そののち、四人がまた集まった時、みんな得意そうにキンスカの木について話しました。


「キンスカの木ってさ、赤い芽がきれいなんだよね。
まるで炎が燃えているみたいにさ。」

「いや、若葉がふさふさしたさわやかな木だよ。」

「とんでもない、手のひらみたいな赤い花が咲く、かなり気味の悪い木だよ。」

「ちがうよ。赤ん坊の頭みたいな大きな実がなる木だよ。」

「ちがうよ」
「そっちこそちがうよ!」

みんな互いにゆずらず言い争いになってきました。

そこで四人は父親のところへいき、
だれが正しいのか裁いてもらうことにしました。

父親は話を詳しく聞くと、四人を森のキンスカの木のもとにつれていきました。

キンスカの木は、冬で葉が枯れて落ちでいました。

「あれ、僕が見たものとちがう」

「僕のともちがう、、、」

父親はにこにこしていいました。

「お前たちは確かにキンスカの木を見た。
それぞれ正しい。
けれど、それぞれがどういう時のキンスカの木かを御者に聞かなかったから、
意見が食い違ってしまったんだ。

同じものでも、時期や角度や人によって、見え方、感じ方は違う。

決して自分だけが正しい、他は間違っていると決め付けてはいけないんだよ。」



レッスン3 
この部屋の中に [この路上に、この窓の外に、この場所に] 
見えているどんなものも、 私は理解していない


この概念もこれまでと同様に、どんな区別もせずに適用する。

目に入ってくるものなら何でも、この概念をあてはめる対象としてかまわない。
この概念を適用するのにふさわしいものかどうかを疑ってはならない。

これは、判断を下す練習ではない。
あなたの目に見えていれば、何でも適している。

なかには、あなたを感情的にさせるような意味をもつものもあるかもしれない。
そうした感情も退けて、単純にほかのものとまったく同じように取り扱う。


演習の要点は、
あなたが心の中から過去の連想を一掃し、
ものごとを今見えているままに見て、
自分が本当はそれらをほとんど理解していないと気づくように助けることである。

したがって、今日の概念を適用する対象を選ぶときには、
価値判断に左右されずに、心を完全に開いておくことが肝心である。

この目的のためには、どんなものもみな同じであり、等しく適しており、等しく役に立つ。

引用 「奇跡講座 ワークブック編」 より





自分がどんなに知っていると思っていることでも、

この物語の息子たち一人ひとりがそれぞれに見た
キンスカの木みたいなもの。


近所の八百屋さんに、
焼き芋もらっちゃった♪

きんとんみたいにとろーりしてて甘い!

え?レッスンと関係ないって? 
だって感動的に美味しかったんだもん。

今年は私にとって、焼き芋の当たり年♪

2014年1月7日火曜日

息子にとっての石。私にとっての、、、 ― レッスン 2


近くの公園に遊びにお散歩に行きました。

息子は葉っぱやどんぐりや石を集めるのが大好き!

大切そうに持ちきれないほど集めては、
私にプレゼントしてくれたり、
落とすと必死で探したり、
運んでくれと頼んだりしてきます。

家に帰るころには、すっかり忘れちゃうんだけど。

その瞬間瞬間は、彼にとって宝物なんだよね。

せっせとパパに石を運んでいます♪

レッスン 2 

この部屋の中に
[この路上に、この窓の外に、この場所に]
見えているあらゆるものに、私にとっての意味のすべてを与えたのは、
私自身である。

この概念の演習も、最初の演習と同じように行う。

 目の前のものから初めて、何でも目にとまるものにこの概念をあてはめていく。
それから適用範囲を拡大する。
 
 首を動かし、左右どちらの側にあるものも含める。
できれば後ろも振り向いて、背後にあるものにも、この概念をあてはめる。

対象を選び出す時には、できる限り無差別に行い、
特別に何かに集中したり、一定の視野にあるものを全部含めようとしないようにする。
さもなければ、負担感が入り込んでしまう。

気楽に、さっと自分の周囲を見回し、
対処の選択が、
大きさ、明度、色、材質、自分にとっての重要性などに左右されないようにする。

ただ目に入ってくるものを、そのまま対称とする。

体、ボタン、ハエ、床、腕、リンゴなど、何にでも等しく気楽に演習を適用する。

ただ自分がそれを見たということを、唯一の基準にすればよい。

引用 「奇跡講座 ワークブック編」 より




物は同じ物でも、思い出があれば、とても大切にとっておきたかったり、
簡単に捨てることが出来るものもある。

断捨離の方法の一つで、捨てるかどうか決められないものは、
ダンボールにいれておいて、
半年その箱を開けることがなければ、
その箱ごとそのまま捨てる、
というのがあるけど、

これもまさに、物に意味を与えているのは自分だから、
箱にいれられたまま見る必要がなければ、
意味を与える機会もなく、
その存在の意味は失われ、
簡単に捨てられる。

私の身の回りのものも、
息子にとっての石やどんぐりや葉っぱとそう変わらないのかも。

それを認識した上で、

息子のように
自分がものに与えた意味を楽しんで、
分かち合い、
そしてまた手放せばいいんじゃないかなと思います。



2014年1月6日月曜日

この部屋に...見えているものには、何の意味もない。― レッスン 1

周囲をゆっくりと見回し、

目に入るものなら何にでも、この主題観念を具体的にあてはめる練習をする。

このテーブルには何の意味もない。
この椅子には何の意味もない。
この手には何の意味もない。
この足には何の意味もない。
このペンには何の意味もない。

次に、目の前から、もっと離れたところへ視線を移し、
広い範囲にこの概念を適用する。

あのドアには何の意味もない。
あの体には何の意味もない。
あのランプには何の意味もない。
あの標識には何の意味もない。

これらの文が特定の順序に並べられていないことや、
対象の種類も区別されていないことに、留意する。
それがこの演習の目的である。

この表現を、目に入るものなら何にでも、ただあてはめていけばよい。
練習においては、今日の概念を全く無差別に使用する。

演習が儀式的になってはいけないので、
目に入るものを一つ残らず、練習の対象にしようとしてはならない。
ただし、目に入ったものの中で特別に除外されるするものがないように注意する。

この概念の適用に関する限り、どれもみな同じである。

最初の三つのレッスンはいずれも、一日に二回、出来れば朝と夜に行い、
それ以上は行ってはならない。

また、一分以上続けようとすべきではないが、急いで一分以内におさめる必要はない。

ゆったりとくつろいだ感覚が大切である。


引用 「奇跡講座」 ワークブック編 より。




amitaayusのひとこと

自分の価値を、物質的な物で証明しようとする人に囲まれている時期がありました。
なんだか、一生懸命追いかけてる感じが大変そうだった、

もちろん、それをデザインを楽しんだり、可愛いものを見て、「可愛い!」と声を上げて、
その喜びを他者と共有することで笑顔が生まれることを必要する必要は無いと思います。
それはそれで楽しんだらいいと思う。

ただ、
これを所有したい!とか、
これが無いと生きていけない!とか、
これが私の価値を表すもだ、とか

物に対して”執着”っぽくなっちゃうと、大変そう!

そういう”意味”はない、ということなのかなあ、と感じたレッスンでした。






今年は公開で!


A Course in Miracles(ACIM)との出会いは、パートナーと上手くいっていなかった時期。
ACIMの原書です☆

パートナーとの関係だけでなく、
この世界そのものに対して、
自分の視点を換える必要があるんだろうなあと思っていた頃、
たまたま読んだ本の中に、やたらとACIMの名前が出てくるので、
気になってインターネットで検索してみたのがきっかけでした。

1970年代にコロンビア大学医学部 医療心理学科の
教授ヘレン・シャックマンのもとにやってきたメッセージを
同僚ウィリアム・セットフォードと共に書き留めたというこの本。

ヨガのヴェーダンタ哲学などで学んだこと、
どれも納得がいくのだけど、
人の助けを借りなければ、
自分の日々の生活の落とし込むことが難しいと感じていました。

この世は幻想です。世界はありません。って言われても、、、、じゃあ、今の生活って何!?
ワンネスっていわれても、、、ねえ、、、みたいな。

それが、ACIMだと、分かりやすい!
Kripalu Centerの先生とかも、ACIMの言い回しを引用してたんじゃない!?
って感じるくらい、懐かしい感じがする。
ワークブックを参考にすると、日常生活にも当てはめて考えやすいし。

ヴェーダンタだけでなく人智学も、
本当はこういいたかったんじゃないかな、というような感覚が生まれてきて、
日々の生活も、前よりもずっと穏やかになりました。

私の個人的な究極の人生のゴールは、Rich & Famous というより、

「日々機嫌よく暮らすこと」

なので、
これはいいもの見つけた!と思いました♪

といいつつ、365個あるワークブックの課題を
コツコツと一人で進める作業は簡単ではありません。

365日を大幅にはみだして、1年4ヶ月かけて、やっと一周完了!
しかも、さらっと済ませてしまったレッスンも多かったことは否めず、
やっと「今スタート地点に立ちました」って
最後のレッスンで言われてること、そのまんまの状態ですが、
それはそれでよかったんじゃないかと(笑)

改めてレッスンを1から振り返ってみると、
今でもあらたに目から鱗!って感じることが沢山。

ということで、今年はamitaayusで、公開型でレッスンを行っていきたいと考えました。
(既に、1月1日より、レッスンだけは別ブログACIM WORKBOOK FOR STUDENTSにて一日1レッスンずつアップしています♪)

こうやると、自分の記録にもなるし、他の人の参考にもなるかも知れないしね☆

でも、これはあくまでも個人的なワークの、個人的な感想を公開してるだけなので、
何が正しいとか正しくないとか、ではないです♪

一日1レッスン、アップを目標に頑張りますので、

興味がある人は、覗いてね!

2014年1月4日土曜日

喉の風邪

クリスマス前に、喉の風邪を引いてしまいました。
可愛いでしょ~、
母からのプレゼントです♪

恐らく、息子が託児所からもらってきて、娘にうつり、
とうとう私にやってきました!

これが強力な風邪!

喉が痛くて、声も出ない。

しかも熱が出なくて、とても長引く。

仕方なく、amitaayus houseでのヨガレッスンをキャンセルしなくてはいけないことに、、、

まもなく鍼灸師になるyukiさんにごめんなさいのメールを書くと、返信に

「手首を温めてくださいな♪」

と一言添えてありました。

アドバイス通り、以前母にもらったアームウォーマーを着けてみると、、、

おおおおおおお! なんか、全身温まる~

それ以来、手放せません。

進藤先生の冷えとりの本には、
温めるのは足中心で、手首を温めることはあまり積極的には書かれてないのだけど、

手首を温めるの、大好きになりました!

アームウォーマー、自分でも作ってみたいなあ♪


2014年1月3日金曜日

素敵なサプライズ


先日、マイカイ・ハナマナさんで黄土よもぎ蒸しを受けた時に、
イヤリングを忘れてしまいました。

息子が生まれる前、パートナーとの初めての誕生日に、
娘と一緒に選んでプレゼントしてくれた大切なイヤリング。

次の日に慌てて取りに行ったら、
こんなステキな布袋に入れて下さいました。

イヤリングって、それぞれ何かしら思い入れがあるもの。

そんな大切な忘れ物を、
ステキに包んで渡して下さる心配りに感動☆


ピンクのオーガンジー♪




2014年1月2日木曜日

冬の苔玉



クリスマス前に、三瀬の直売所、「まっちゃん」で見つけたステキな苔玉。
両親にプレゼントしたのですが、
只今旅行中なので、預かってお世話をしています。

クリスマスにも、お正月にも、ぴったりでしょ?

2014年1月1日水曜日

明けましておめでとうございます!


2014 元旦 

自宅からの初日の出です♪

明けましておめでとうございます。

年末年始は家族でゆっくりとした時間を過ごしていますが、

最近 忙しくて、なかなか家族と時間を過ごすことが出来ていなかったので、
これこそがお正月らしい過ごし方なのかなあ~なんて思っています。

今年も、amitaayus house の活動を益々充実させていこうと思っています。

皆さん、今年もどうぞ宜しくお願いします!

元旦
 
amitaayus