ヨガにVrksasana/立ち木のポーズというアーサナがあります。
☆Vrksasana☆ |
片足立ちのバランスのポーズ。
もちろん、まずは必要な筋力とコツをつかむ必要があるのですが、
たとえ、一度コツをつかんでも、日によって簡単に出来る時と、
バランスを取るのがとても難しい時があります。
心が穏やかでない時にはバランスがとりにくくなるみたい。
じゃあ、なんで今、心が穏やかじゃないんだろう?
と、考えて、理由が思い当たったからといって、
その場で解決法が見つかる筈もないので、
そんな心穏やかでない自分を慈しみ、心をのさざ波を落ち着けることに集中することにしています。
すると、たいていバランスが取りやすくなります。
そしてレッスン後、自分が問題だと思っていたことを
全く別の視点で見ることができるようになったりすることがあります。
自分が動揺していた本当の理由は、自分が気付かないところにあって、
他の事に集中することによって心が穏やかになったことで、
その自分で気付いていない「理由」が
これまた自分で気付かないまま、消えてしまったのかなあ~、なんて。
レッスン5
私は自分で考えているような理由で、動揺しているのではない。
1
この主題概念は、前回のものと同じように、
自分に苦痛を引き置きしていると思われる人や状況や出来事のどれにも使用できる。
あなたが自分の動揺の原因だと信じているものに対して、
自分の気持ちを正確に表すと思える言葉を使って、
具体的にこの概念を適用しなさい。
その動揺は、恐れ、心配、憂鬱感、不安、怒り、憎しみ、嫉妬、
そのほかのいくつもの形であるように見え、
そのすべてが異なったものとして知覚されるだろう。
これは真実ではない。
しかし、形は問題ではないということをあなたが学ぶまでは、
それぞれの形が今日の演習にふさわしい対象となる。
それぞれに同じ概念を個別に適用することが、
それらすべてが同じものだと最後には認識できるようになるための第一歩である。
2
今日の概念を、
さまざまな形の動揺の原因として具体的に知覚されたものに使用するときには、
あなたが見ている動揺の形の名称と、
その原因だと思える事柄の名称を用いるようにする。
たとえば、次のように言う。
私は自分で考えているような理由で、______に腹を立てているのではない。
私は自分が考えているような理由で、______を恐れているのではない。
3
ただし、以下のやり方を、通常の練習時間のかわりとしてしまってはならない。
練習時間には、まず最初に、
動揺の「源」だとあなたが信じるものと、
その結果を生じると思える動揺の形を心の中に探していく。
4
この演習では、
特定の対象だけを重視せずにどれも無差別に扱うことが、
これまでよりずっと難しく思えるかもしれない。
演習を始める前には、次のように言うと役に立つ。
小さな動揺というものはない。
動揺はみな、等しく、私の心の平安を乱すものである。
5
その後、心の中を調べて、
悩みの大小にかかわらず、自分を悩ませているものを何でも探し出す。
6
また、動揺の源だと知覚されるものの中には、
とりわけ今日の概念をあてはめたくないと思われるものもあるかもしれない。
そういう場合は、まず次のように考える。
この形の動揺を保ったまま、ほかの動揺を手放すことはできない。
だから、この演習のために、全ての同様を同じものと見なそう。
7
その後一分ほと心の中を検索し、
自分にとってどれほど重要であるかは考慮せずに、
自分の心を乱すさまざまな形をいくつか見つけ出す。
その動揺の源であると知覚されるものの名称と、
あなたが体験してるそのままのその感情の名称を両方用いて、
それらの各々に今日の概念をあてはめる。
以下に、もう少し例をあげておく。
私は自分で考えているような理由で、______について心配しているのではない。
私は自分が考えているような理由で、______について落ち込んでいるのではない。
一日に3、4回で十分である。
引用 「奇跡講座」 ワークブック編 より
そしてその「理由」、
このレッスンによれば、たとえ問題が何であれ、心の動揺の「源」はみな同じだそう。
ってことは、
このレッスンによれば、たとえ問題が何であれ、心の動揺の「源」はみな同じだそう。
ってことは、
疲れているとき、娘が車の中でしゃべりすぎ、、、、とげっそりするようなことも、
安倍政権ってどうよ!って怒りを感じることも、
「源」は同じ、、、、ですか。
ええ~、違うやろ!と思う方も多いハズ。
今後のレッスンに乞うご期待!ですね。
amitaayus
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