1
周囲をゆっくりと見回し、
目に入るものなら何にでも、この主題観念を具体的にあてはめる練習をする。
このテーブルには何の意味もない。
この椅子には何の意味もない。
この手には何の意味もない。
この足には何の意味もない。
このペンには何の意味もない。
2
次に、目の前から、もっと離れたところへ視線を移し、
広い範囲にこの概念を適用する。
あのドアには何の意味もない。
あの体には何の意味もない。
あのランプには何の意味もない。
あの標識には何の意味もない。
3
これらの文が特定の順序に並べられていないことや、
対象の種類も区別されていないことに、留意する。
それがこの演習の目的である。
この表現を、目に入るものなら何にでも、ただあてはめていけばよい。
練習においては、今日の概念を全く無差別に使用する。
演習が儀式的になってはいけないので、
目に入るものを一つ残らず、練習の対象にしようとしてはならない。
ただし、目に入ったものの中で特別に除外されるするものがないように注意する。
この概念の適用に関する限り、どれもみな同じである。
4
最初の三つのレッスンはいずれも、一日に二回、出来れば朝と夜に行い、
それ以上は行ってはならない。
また、一分以上続けようとすべきではないが、急いで一分以内におさめる必要はない。
ゆったりとくつろいだ感覚が大切である。
引用 「奇跡講座」 ワークブック編 より。
amitaayusのひとこと
自分の価値を、物質的な物で証明しようとする人に囲まれている時期がありました。
なんだか、一生懸命追いかけてる感じが大変そうだった、
もちろん、それをデザインを楽しんだり、可愛いものを見て、「可愛い!」と声を上げて、
その喜びを他者と共有することで笑顔が生まれることを必要する必要は無いと思います。
それはそれで楽しんだらいいと思う。
ただ、
これを所有したい!とか、
これが無いと生きていけない!とか、
これが私の価値を表すもだ、とか、
物に対して”執着”っぽくなっちゃうと、大変そう!
そういう”意味”はない、ということなのかなあ、と感じたレッスンでした。
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