2014年10月8日水曜日

津留晃一さん ノート2

1989年に昭和天皇が崩御し、年号が平成に変わりました。
日本で総ての価値が平らに成る平成時代が幕を開けました。
想いの力が行動の力を越えた瞬間です。

地球には地球人というひとりの人間意識が存在します。
人類の集合意識とも呼ばれています。
「自分こそがそのひとりである」と考えると、とてもわかりやすい宇宙観が開かれてきます。
あなたの世界は「あなたの思った通り」の世界として立ち現れてきます。
世界はあなたの「思っている通り」に現れます。
あなたの思っていることがあなたの世界です。
知っている通り、信じている通り、想像している通り、ということです。
そこで自分が何を思っているのかに気付いている事が大切です。
 しかし我々は、「思い通りにしよう」と考えます。
「思っている通り」に現れるというのに、「する」事に意識を向け続けています。
「思い通りにしよう」と考えている時は、今は思い通りではないと思っています。
ですからその思い通りになるわけです。
具合が悪いから治療しようと考えます。
ですから具合が悪いという思いが、具合の悪い明日をまた創ります。
すなわちあなたが遂げたいと欲している思いは遂げられません。
日本の昭和期以前は、まだ思いの力よりも行動の力の方が
現実を生みだすエネルギーが強かったのですが、
平成に入ってからその力のバランスが逆転しました。
すなわち行動の力よりも思いの力の方が強くなってきたわけです。
これからは年を追うごとに想念の力が行動の力を凌駕していきます。
 このレポートの読者のような時代の先駆者の方々にとって、創造の年が始まります。
思いがストレートにそのまま現実を創ってしまうという時代の始まりです。
これまでも、もちろんその通りであったわけですが、そのスピードが一段とアップしたようです。
どうぞ思いを遂げようと努力するかわりに、自分の思いそのものを
変えてみようと、その方向に意識を向けてみて下さい。
何故なら思っている通りが世界であり、思っている通りが自分なのですから・・・。
まず自分が何を思っているのかに注目してみて下さい。
我々は自分の望む現実を手に入れたいという欲求に比べると、
自分が何を思っているのかという事にはいたって無頓着です。
本当はそれこそが重大事であるというのに。これまで長い間、
思ったことが実現しなかったのですから無理もないことです。
もうすっかり人類は思うだけではだめであるという固定観念を立派に創り上げました。
行動しないと何の価値も無いという価値観を育て上げました。
そしてあなたである地球の集合意識は、もうこの体験は充分にやりつくした、
想いが実現するのには時間がかかるのだという体験はそろそろ終わりにしようと決めました。
地球人の意識は我々の見ている夜空に反映として映し出されます。
1979年に冥王星が海王星の軌道と交差して海王星の内側を回り始めました。
それまで平行宇宙として活動していた惑星が交差して、
閉じられていた地球人の意識が反転して開かれていく準備を始めたわけです。
再度冥王星が海王星の軌道の外へ出る1999年に、
我々はこれまでのぞき込んでいたブラックボックスからきびすを
返し、我々の背面側にあった真実の自分を発見していくことになります。
そして冥王星が海王星の内軌道を回る20年の真ん中である
1989年に昭和天皇が崩御し、年号が平成に変わりました。
日本で総ての価値が平らに成る平成時代が幕を開けました。
想いの力が行動の力を越えた瞬間です。
どう想いを変えればいいのかと考える前に、その事はいったん脇へ置いて
「思っているとおりになる」という事に意識を向けて下さい。
立ち止まって、ゆっくりと時間をかけて、ただその事に意識を向け続けてみて下さい。
何かを期待せずに「思っている通りになる」とは・・・。
どうぞ実際に今やってみて下さい。
自分は一体どんなことを思っているのだろうかと。
「自分の好きなことばかりやっていたら生きていけなくなる」と思っているかもしれません。
「自分は意気地がない」と思っているかもしれません。
彼女と仲良くしたいと思っている。
人に迷惑をかけたくないと思っている。
そんな一つ一つをぜひ紙に書き出してみて下さい。
そしてそんな一つ一つが「もうこんな思いは必要ない」と思えた時、
あなたの現実の一つ一つが変わり始めます。
仕事を辞めても生きていけると思えないだろうか・・・。
「そうだ、辞めたって生きていけるじゃないか」と思えたとき、そこから現実は変わり始めます。
 
望む現実を創るとは、望む自分を創る事です。
あなたが望む者になれば、その反映として、あなたの現実という鏡が、
あなたの望むものそのものになってくるわけです。
その逆はあり得ません。今後ますますその事が顕著になってきます。
あなたの望む自分とはどんな自分なのでしょうか。
じっくりと、輝かしい自分に意識を向けてみて下さい。
そこに教え込まれた価値観を持ち込まないで下さい。
本で読んだ知識に基づくのではなく、誰か偉い人の言った事に基づくのではなく、
今、自分自身でその事に意識を向けてみて下さい。
心から自由に・・・。地球には自分一人しかいないという前提に立って意識を向けて下さい。
「私はどんな自分でありたいのか」、過去のどんな束縛からも離れて、
ただその事に意識を向ける時間を割いてあげて下さい。
意識を自分の内面深く降ろしていきます。
自分の意識を無限遠点の自分の中心にまで持っていって下さい。
意志の力を使って下さい。
物質に向けている意識を絶えず自分の内面に向かわせて下さい。
深く、もっと深く、意識を中心へ中心へと持っていきます。
その事に自分の思考を使って下さい。
考えるのではなく意識の方向付けに思考を使って下さい。
内なる目で、内なる世界が見え始めるまで。
ですが見る本体であるあなた自身を見る事は出来ません。
ですから見る主体であるあなたは見られる者です。
あなたは自分を見るという行為を通して、
自然に観察する者であるあなたの本体と合流していきます。
どうぞ自分を見続けようと決めて下さい。
自我のとる一挙手一投足を観察して下さい。
自我の発する想念を見張って下さい。
自我に生起している細やかな感情の動きを見張って下さい。
自我は絶えず何かを考え、頭を働かせています。
四六時中発する自我の想念を見張り、瞬間も逃さず気付き続けていると、
あなたの意識は「今この瞬間」という宇宙の中心とぴったりと
重なって存在し続けることになります。
  観察するとは今にい続けるということです。
たえず観察者の位置にいるあなたは、判断のないあなたとなります。
あなたの内なる神である真の観察精神には、良いとか悪いという事を
判断する為の基準である価値観がないからです。
怒り狂っているあなたの内にいて、穏やかさそのものの自分を感じ始めます。
不安にさいなまれている自分の内にいて、平穏そのものの自分を発見します。
恐怖におののいている自分の内にいて、静けさそのものの我が現れてくる事でしょう。
わき上がってくる自分の想念を見張って下さい。
片時も忘れずに。どうぞその事に努力を払ってみて下さい。
何かを手に入れようと努力するかわりに、何かを克服しようと努力するかわりに・・・。
何かが出来るようになる努力をしているのなら、
その代りに想念観察に意識を向け続けて下さい。
この努力は必ず報われます。
とても不思議な感覚を持って。
「どうしてなのだろう、最近のこの幸せ感は」、
「どうしてなのだろう、前はあんなに気になっていた事が今回は全然気にならない」と、
こんな感想をつぶやく日がきっとやってきます

2014年10月1日水曜日

津留晃一さん ノート1

あなたの目の前に起きてくる出来事は、ただあなたが自分の考え方に気付き、
意識の変容が遂げられるようにと起こってきます。

人は誰でも「つまらないモノを発見する」能力と、「素敵なモノを発見する」能力の
両方を持っていますが、あなたは果たしてどちらの能力の方が秀でているとお思いですか?
あなたが今自分の人生はつまらないとお思いだとしたら、それはあなたが
素敵なモノを発見する能力以上に、つまらないモノを発見する能力の方が
優れているゆえんであり、つまらないモノ発見名人は、どこにいても、他にどんな
優れた才能をお持ちだとしても、その人の人生はつまらない人生となってしまいます。
とても単純な事です。
この三次元世界には、つまらないモノと素敵なモノの2種類のモノや事が存在します。
それは素敵なモノがつまらないモノを産み出し、つまらない事が素敵な事を産み出すからです。
互いが、互いの存在ゆえに存在可能となるからです。
片方が消滅すると、もう片方も消滅します。
それがこの物質宇宙の発生の基本メカニズムです。 
 この世に素敵なモノがある以上、つまらないモノがなくなることは永遠にありません。
この世が素敵か否かは、あなたの今の環境や状況によって決まるわけではなく、
あなたが素敵なモノをいつも見つけ、そのことに意識の焦点を合わせているか、
つまらないモノの方に意識の焦点を合わせているかによってのみ決まります。
 すなわちこの世が素敵かどうかは、あなたの選択にかかっているということです。
素敵なモノを見つめながら生きているか、つまらないものに
焦点を向けて生きているか、そのどちらかでしかないわけです。
「これがないとつまらない」と思うのは、それがないとつまらない
というあなたの限定された思考により発生しているにすぎません。
つまらないという事実が存在しているわけではなく、「それがないとつまらない」
とするあなたの考え方が、あなたをつまらない人生に誘引しているだけなのです。
つまらないのは、自分の抱く価値観によるだけだということに気が付くと、
人はつまらないことに意識が向かなくなってきます。 
これまで人は、今ここがつまらなくなると、それが自分の考え方から
起きていることには気付かないため、どこか別の何かを探し求めてきました。
人は進歩と称していつもいつもこれをやり続けてきました。
つまらなくなったとき、それは自分の考え方にあるのだから
自分の価値観を点検すればいいのだという事を知らない人は、
つまらない外の世界(幻である映像の世界)を変えようと努力し頑張ってきました。
そして望み通り別の映像(外部環境)を手に入れますが、
その新たな映像(環境)の世界でまた別のつまらないものを発見してゆくというわけです。
 このような話を色々なところで聞き、色々な本で読んでいるので
頭では分かっているのに腑に落ちていない人は、自分で学んだ知識を
他人に当てはめるのが得意な人で、自分に適用することを忘れているようです。
「自分はわかっているが家族があるから」とか「彼がどうしても解ってくれない」と人は言います。
そんな家族も、そんな彼も、全てあなたの心の内側以外には
存在していないということをすぐに忘れてしまいます。
あなたの目に映る彼なのですから、それはあなたの映像世界にあなたが映し出した幻影です。
真理はただ自分を変えるためにのみ存在します。
あなたの世界はただあなたを変えるためにのみ存在します。
あなたのスクリーンを書き換えるゲームはそろそろ終わりにしませんか?
あなたは創造するものです。
何事であっても、人を裁いたり、咎めたりする必要などありません。
あなたはどんなこともただ体験し学んでいるだけです。
あなたの目の前に起きてくる出来事は、ただあなたが自分の考え方に気付き、
意識の変容が遂げられるようにと起こってきます。
 瞬間、瞬間、創造行為にだけ意識を向け、
どんな時も喜びの創造にあなたの意識を集中して下さい。
あなたの自由は、創造する事においての自由です。
その時あなたを邪魔する何者も存在しません。
あなたはそのとき完全な自由を体感することでしょう。