2014年8月3日日曜日

「宗教」と "religion"

今日は沢山雨が降りましたね!

こんな雨にも関わらず、YMCヨガスタジオの骨盤調整ヨガレッスンでは、
沢山の皆さんにご参加いただきました!

暑さと湿気で体調を崩しやすいこの季節こそ、
心とカラダの足並みを、丁寧に揃えていきたいですね。

ところで私、YMC福岡校では
ヨガインストラクター養成の講師も務めさせていただいていますが、

養成コース講義の中に「ヨガ哲学」があります。

私たちの日常の考え方とは少し違った視点で世界を眺めるので、

「それって宗教なんですか?」

と、

質問を受けたりします。

その時の「宗教」って言葉、
余りポジティブな文脈で使われてはいない時もあります(笑)


「宗教」という言葉は、漠然としたイメージで多種多様に使われている気がします。

究極にネガティブ解釈だと、
「宗教は心の弱い人間のためのもの」
みたいな、、、。

じゃあ、本来「宗教」って何????




父の本棚に「宗教学事典」があったので、少し調べてみました。

私なりの理解なので、勘違いがあるかもしれませんが、

 「宗教」という言葉は
歴史的にその意味合いが大きく三回にわたって変化したそうです。

 一回目 中国に仏教が伝わった時。
 二回目 日本に仏教が伝わった時。
 三回目 明治開国の時。


その語源は、

漢字の母国中国では

本来「宗」とは

「祖先や神に捧げものをする建物」

を表しましたが、

やがて祖先・神そのものを表すようになり、

仏教がインドから伝わって、

仏教で究極的に求める「佛の境地」が

「宗」

と訳されました。

その「宗(佛の境地)」に到達させるために、

さまざまに説かれた言説が

「教」。

つまり、語源としての「宗教」とは

「宗と教」であり、
「宗の教」であり、
「宗に至る為の教」、

としで、始めは「仏教」のことを示す言葉として伝わったようです。

仏教渡来以前、我が国には八百万の神の「かむながらの道」がありましたが、
厳密に言うと「かむながらの道」は本来、「宗教」とは別みたいです。

その「かむながらの道」も「仏教」との交渉史の中で「神道」として

「古神道」「神社神道」「教派神道」「皇室神道」「国家神道」…

と分化発展してきました。

「かむながらの道」の「宗教化」を歩んできた訳です。




明治時代になって、
欧米の文化を積極的に取り入れるため翻訳活動が盛んに行われた時、

religionが「宗教」と訳され

日本では仏教のことを意味していた「宗教」が

仏教のみならず宗教一般を表す類概念として用いられるようになったと。

だから、

「宗教」="religion"

というのは、誤訳だとする学者さんもおられるようです。



でも、religionの原義は

分解して”re” と”ligion”

re =「再び」
ligion = 「結ぶ」

つまり

「何らかの事情で離れてしまった本来繋がっていたひとつのものを『再び結ぶ』」

という意味なのだそうです。

ということは、

中国での「宗」の語源の意味での「宗教」に戻ったって感じで、

やっぱり

「宗教」= "religion"

で、いいんじゃないのかなー、

なんて、ぐるぐる(笑)


少なくとも原義のレベルでは、

「宗教」= "religion" = "oneness" なんですね!

ステキ!

                 

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