2014年10月1日水曜日

津留晃一さん ノート1

あなたの目の前に起きてくる出来事は、ただあなたが自分の考え方に気付き、
意識の変容が遂げられるようにと起こってきます。

人は誰でも「つまらないモノを発見する」能力と、「素敵なモノを発見する」能力の
両方を持っていますが、あなたは果たしてどちらの能力の方が秀でているとお思いですか?
あなたが今自分の人生はつまらないとお思いだとしたら、それはあなたが
素敵なモノを発見する能力以上に、つまらないモノを発見する能力の方が
優れているゆえんであり、つまらないモノ発見名人は、どこにいても、他にどんな
優れた才能をお持ちだとしても、その人の人生はつまらない人生となってしまいます。
とても単純な事です。
この三次元世界には、つまらないモノと素敵なモノの2種類のモノや事が存在します。
それは素敵なモノがつまらないモノを産み出し、つまらない事が素敵な事を産み出すからです。
互いが、互いの存在ゆえに存在可能となるからです。
片方が消滅すると、もう片方も消滅します。
それがこの物質宇宙の発生の基本メカニズムです。 
 この世に素敵なモノがある以上、つまらないモノがなくなることは永遠にありません。
この世が素敵か否かは、あなたの今の環境や状況によって決まるわけではなく、
あなたが素敵なモノをいつも見つけ、そのことに意識の焦点を合わせているか、
つまらないモノの方に意識の焦点を合わせているかによってのみ決まります。
 すなわちこの世が素敵かどうかは、あなたの選択にかかっているということです。
素敵なモノを見つめながら生きているか、つまらないものに
焦点を向けて生きているか、そのどちらかでしかないわけです。
「これがないとつまらない」と思うのは、それがないとつまらない
というあなたの限定された思考により発生しているにすぎません。
つまらないという事実が存在しているわけではなく、「それがないとつまらない」
とするあなたの考え方が、あなたをつまらない人生に誘引しているだけなのです。
つまらないのは、自分の抱く価値観によるだけだということに気が付くと、
人はつまらないことに意識が向かなくなってきます。 
これまで人は、今ここがつまらなくなると、それが自分の考え方から
起きていることには気付かないため、どこか別の何かを探し求めてきました。
人は進歩と称していつもいつもこれをやり続けてきました。
つまらなくなったとき、それは自分の考え方にあるのだから
自分の価値観を点検すればいいのだという事を知らない人は、
つまらない外の世界(幻である映像の世界)を変えようと努力し頑張ってきました。
そして望み通り別の映像(外部環境)を手に入れますが、
その新たな映像(環境)の世界でまた別のつまらないものを発見してゆくというわけです。
 このような話を色々なところで聞き、色々な本で読んでいるので
頭では分かっているのに腑に落ちていない人は、自分で学んだ知識を
他人に当てはめるのが得意な人で、自分に適用することを忘れているようです。
「自分はわかっているが家族があるから」とか「彼がどうしても解ってくれない」と人は言います。
そんな家族も、そんな彼も、全てあなたの心の内側以外には
存在していないということをすぐに忘れてしまいます。
あなたの目に映る彼なのですから、それはあなたの映像世界にあなたが映し出した幻影です。
真理はただ自分を変えるためにのみ存在します。
あなたの世界はただあなたを変えるためにのみ存在します。
あなたのスクリーンを書き換えるゲームはそろそろ終わりにしませんか?
あなたは創造するものです。
何事であっても、人を裁いたり、咎めたりする必要などありません。
あなたはどんなこともただ体験し学んでいるだけです。
あなたの目の前に起きてくる出来事は、ただあなたが自分の考え方に気付き、
意識の変容が遂げられるようにと起こってきます。
 瞬間、瞬間、創造行為にだけ意識を向け、
どんな時も喜びの創造にあなたの意識を集中して下さい。
あなたの自由は、創造する事においての自由です。
その時あなたを邪魔する何者も存在しません。
あなたはそのとき完全な自由を体感することでしょう。

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